ライブ回顧録~第四回 【1982-1984】
【1982-1984】
色んなジャンルの音楽を聴いていた頃。ジャズあり、ニュー・ウェイヴ(?)あり。
1982 マンハッタン・トランスファー
1982 グレン・フライ
1983 M.J.Q-モダン・ジャズ・カルテット
1983 ザ・バンド
1983 オーレックス・ジャズ・フェスティバル '83
1984 リンダ・ロンシュタット&ネルソン・リドル・オーケストラ
1984 スタイル・カウンシル
1984 ビッグ・カントリー
☆1982年2月7日(日)
マンハッタン・トランスファー
中野サンプラザホール
招聘元:KYODO
前年1981年にアルバム「モダン・パラダイス」(Mecca For Modern)を発表し、シングル・カットされた“ボーイ・フロム N.Y.CITY”がヒットした。
これは1986年の来日公演の映像です。
☆1982年9月16日(日)
グレン・フライ
日本武道館
招聘元:UDO
David Wolinski : Keyboards
John Robinson : Drums
Dancan Cameron : Guitar
Josf Leo : Guitar
Vince Melamed : Keyboards
Bryan Garofalo : Bass
Al Garth : Sax
Michael Huey : Drums
初のソロ・アルバム「No Fun Aloud」発売後の来日公演。ソロ・アルバムからのナンバーとイーグルス時代の曲を聴かせてくれた。
ところで、このアルバムの1曲目に収められている“I Founf Somebody”、アマゾンのアルバム・レビューにも書かれているが、彼のベスト・アルバムのいずれにも収録されていない。これは何か理由があっての事だと思うのだが、ご存じの方は是非とも教えてください。
↓音声がずれていますが懐かしいので。
☆1983年2月4日(金)
M.J.Q.-モダン・ジャズ・カルテット
NHKホール
招聘元:KYODO
モダン・ジャズ・カルテットは1952年に結成され、1974年にヴァイブのミルト・ジャクソンがグループからの脱退を宣言した事により解散を余儀なくされる。しかし、1981年10月に日本武道館で開催された「パイオニア・ライブ・スペシャル~モンタレー・ジャズ・フェスティヴァル・イン・ジャパン」で7年ぶりに復活する。
あまり表情をくずさずクールなジョン・ルイスのピアノと、グルーブするミルト・ジャクソンのヴァイブ、その相反する個性のカラミは絶妙である。
この何年か後に、ミルト・ジャクソンとレイ・ブラウンのカルテットの公演にも行ったのだが、いつだったのかは覚えていない。場所は五反田の簡易保険ホールだったと思うのだが・・・
M.J.Q.のアルバムはたくさん有りすぎて絞れないので、1974年の“ラスト・コンサート”を
☆1983年9月1日(木)
ザ・バンド
東京厚生年金会館ホール
招聘元:SWAT
ザ・バンドは、1976年11月の「ラスト・ワルツ」 を境に活動を中止するが、1983年にロビー・ロバートソン抜きで再結成されツアーを行った。これが、ザ・バンドの初来日公演だ。
ロビー・ロバートソン以外のメンバーにサポート・メンバーとしてケイト・ブラザーズが参加している。ロビー・ロバートソンのギターが聴けないのは残念であったが、ザ・バンドのファンにとっては待望のライブであった。何しろ3人のボーカルは聴けたんだから。
翌9月2日の公演を収録したDVDとCDが発売されているので、そこから収録曲をご紹介。
01. Intro
02. Rag Mama Rag
03. Long Black Veil
04. Up On Cripple Creek
05. The Shape I'm In
06. It Makes No Difference
07. Milk Cow Boogie
08. Mystery Train
09. King Harvest (Has Surely Come)
10. Voodoo Music
11. W.S. Walcott Medicine Show
12. You Don't Know Me
13. Stage Fright
Disc: 2
01. Caldonia
02. Chest Fever
03. Java Blues
04. I Shall Be Released
05. Back To Memphis
06. The Weight
07. (I Don't Want To) Hang Up My Rock And Roll Shoes
08. Blaze Of Glory
09. Willie And The Hand Jive
10. Ophelia
私と大学時代の友人Meg3、そしてMeg3の知り合いの年上の方々とライブの後に新宿のゴールデン街に行ったのだが、そこで衝撃的なニュースを耳にする事になる。この日の未明にサハリン沖で消息を絶った大韓航空機が、実はソ連軍機により撃墜されていた事が判明したのだ。これが「大韓航空機撃墜事件」である。そして、私は存じ上げないのだが、私の友人Meg3たちの知り合いのお店のマスターが、その飛行機に乗っていた事が判明し、それまで楽しかった酒の席は一転、重苦しい空気に包まれた。そして私たちは家路に急いだ。
☆1983年9月4日(日)
オーレックス・ジャズ・フェスティバル'83
横浜スタジアム
招聘元:KYODO YOKOHAMA
オープニング・バンド:NORIKI
第一部:ショーティ・ロジャーズ&ザ・ウエスト・コースト・ジャイアンツ
第一部:スペシャル・ゲスト:シェリー・マン
第二部:アート・ブレイキー&オールスター・ジャズ・メッセンジャーズ
第三部:グローバー・ワシントンJr
第一部:フィーチュアリング:ピーセス・オブ・ア・ドリーム
第四部:レス・ブラウン&ヒズ・バンド・オブ・レナウン
第一部:ウイズ・ローズマリー・クルーニー
第一部:スペシャル・ゲスト:ジョージ・オールド/バディ・デフランコ
それほどジャズに詳しい訳ではない為、ウエストコースト・ジャイアンツに関してはあまり記憶がない。ジャズ・ファンの方には「ごめんなさい!」
アート・ブレイキーは、黒光りする体に黒いタンクトップ、だったと思う。ウイントン・マルサリスも参加していた。
グローバー・ワシントンJrのグループにはボーカルとしてグラディ・テイトが参加、“Just The Two Of Us”(雨の歌~Rain Songs~その3で紹介した)を歌った。
レス・ブラウンの楽団では、女性歌手の登場に会場は沸いたが、それはローズマリー・クルーニー(俳優ジョージ・クルーニーの叔母)ではなかった。しかし“センチメンタル・ジャーニー”等なかなか素晴らしい歌声を聴かせてくれた。それもそのはず、後に調べたところ彼女はジョー・アン・グリアと言い、1950年代前半に楽団の専属歌手だったそうな。バンドの演奏もノリの良い楽しいものだった。
ローズマリー・クルーニー登場は、“Come On A My House”(家においでよ)だったか。スタンダードを中心に素晴らしいショーだった。
☆1984年4月4日(水)
リンダ・ロンシュタット&ネルソン・リドル・オーケストラ
NHKホール
招聘元:KYODO
1970年代に「ウエスト・コーストの歌姫」と呼ばれたリンダは、80年代に入り「激愛」(Mad Love)ではエルビス・コステロやマーク・ゴールデンバーグの曲を中心にした選曲でロック色を深め、続く「ゲット・クローサー」(Get Closer)では、真っ赤に白の水玉のワンピースでシャウトするかと思えばバラードも聴かせてくれた。
そして1983年には、フランク・シナトラとの仕事で知られるネルソン・リドルを迎え、、素晴らしいスタンダード曲集「ホワッツ・ニュー」(What's New)を発表した。
切ない恋心を歌うリンダはとてもキュートで、聴いている自分もなんだか切なくなるような気持ちにさせられるコンサートだった。
チケットに「第13回東京音楽祭協賛」とあるように、リンダは東京音楽祭のスペシャル・ゲストとしても招かれ、本選のステージで数曲披露している。このステージと神奈川県民ホールでの公演はTBS系列で放映された。
What's New-PV
Falling In Love again-Live at Kanagawa Kenmin Hall
Dream-Live at Kanagawa Kenmin Hall
☆1984年4月29日(日)
スタイル・カウンシル
東京厚生年金会館ホール
招聘元:Van Production
☆1984年5月5日(土)
ビッグ・カントリー
東京厚生年金会館ホール
招聘元:Van Production
4月の後半から5月に連休にかけて、“FROM A PRESENTS 明日のスーパースターたち FM LIVE-ALIVE '84”と題されたコンサートが開催された。他にインエクセス、モーテルズ、ロマンティクスが来日し、日替わりでコンサートが開かれた。
スタイル・カウンシルはレコードは持っていたがそれほど好きなグループという事でもなく、今聴く事はほとんどない。
ビッグ・カントリーはスコットランドのバンドで、ギターが奏でるバグパイプのような音が特徴的でけっこう好きなバンドだった。ステージでは、スキップのようなステップを踏みながらの演奏が印象的だった。観客も飛び跳ねてます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント